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歴史

厚真町百年家族~大いなる大自然~
  1.大平原に実った一本の稲穂   2.明治以前の厚真・厚真の夜明け   3.明治20年・原野に石油噴出   4.米づくりの苦闘   5.厚真が守った北海道犬










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大 正

大平原に実った一本の稲穂

 実り豊かなこの大地は決して最初から移住者に優しかったわけでない。

 明治3年に新潟から入植した、青木与八が勇払から浜厚真に移った当時は、まったくの未開の原野だった。蚊やアブが飛び回る中を、大木を切り倒し、熊笹をなぎ倒して火を放ち、道をつけ、ほったて小屋を建てた。

 明治17年には山本鉄太郎が厚真村トニカの開墾にあたった。この青木、山本の両名が厚真村の生みの親である。

  明治19年、三県が廃止され、北海道庁が設置されて勇払郡役所は道庁の管轄となった。このころは、アイヌの人々が多く、厚真に本籍を置く30戸のうち、和 人はわずか3戸だった。しかし、この後から入植者が増え始め、厚真村の胎動期を迎えた。20年には振老油田で初めて出油し、その後の輝かしい石油時代の幕 開けとなる。

 明治22年、勇払郡役所は室蘭郡役所管轄の苫小牧他十六ヶ村戸長役場に属することになった。このころには戸数も200戸を数えた。浜厚真から周文を中心に次々と入植が続き、そのほとんどが農業を目的とした開拓者たちであった。試行錯誤の末、この地はすべての点において畑作より水田に適していることを発見した。

 このような状況の中で、明治30年4月1日、厚真村は苫小牧他六ヶ村戸長役場から独立することになった。
「厚真村」の誕生である。当時の人口は、2,152人、同年5月には初めての公立学校も開校され、村としての形を徐々に整えていった。

 明治33年には農業史上画期的な客土法が字当麻内の佐羽内良助によって実証された。この勢いを得、用水、かんがい溝、排水の流通などに関係者が努力を重ね、今日の米どころ厚真町の基礎をつくったのである。

  明治39年には、村民の悲願だった2級町村制が施行され、大正4年には1級町村制が施行された。そのころの人口は7,484人に達していた。農業の発展、 道路の整備に伴い人口が膨らみ、昭和3年には9千人を突破した。その後何度かの水害、恐慌、不況を村民の不屈の精神で乗り越え、昭和35年には町制が施行 された。
 
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